どうも、まんますです。
今回は私の性格の大半を占めるであろう「心配性」ということについて
石橋を叩いて渡る
安全そうに見えても用心を重ねること、ですね。
石橋は頑丈でちょっとやそっとじゃ壊れないけど万が一に備えて用心を怠らない。
どちらかというといい意味のことわざだと思います。
では「石橋を叩いて壊して渡れない」とは?
こちらはことわざではないですが、派生語的なもので性格を表すのにネタとして書かれている人もちらほら。
結構探すといろいろあるのですが、勝手に「石橋シリーズ」と呼ばせてもらいます。
石橋シリーズには主に3つあると思っています。
石橋シリーズ主な3つ
石橋を叩くけど渡らない:用心しすぎて行動できない。
石橋を叩いて壊す:渡らないと同義または用心しすぎて失敗する。
石橋が壊れる前に渡る:用心しない。行動あるのみ。
他にもそもそも渡らずに泳いで見る人とか飛び越える人とかいろいろいるみたいです。
そして私は渡れない側の一人
昔から心配性な私。何かする前にはまず行動しても大丈夫、安全であるという保証を探します。
数値的な情報であったり、ネットのレビューであったり、周りの人の意見であったり・・・
私にとって石橋が壊れて落ちることは「死」を意味するのです。
渡って新しい土地に行くことより、無事にたどり着くことが優先されます。
そうするとどうなるのか。
不安な要素が少しでもあると一気に行動が鈍ります。そしてその裏付けを探し出すのです。
この石橋古そうだな。ヒビ入ってる。
そしてガンガン叩くのです。
あ、ヒビが広がってきた。やっぱり危ないかも。
念のためもう少し叩いてみよう。それでも大丈夫なら渡ろうかな・・・
そうこうしてるうちにヒビは広がり、いつの間にか石橋は壊れるのです。
そして私はこう言うのです。
ほら、やっぱり壊れた。
と。
そして違う石橋を探して遠回りをする。
私の心配性エピソード
さて、そんなわけで、私は一般の人の感覚からすれば、度が過ぎた心配性だと思っています。
車に乗ったら事故るかもしれない(ので自分では運転しないタクシーも多少ビビりながら乗る)、
海外には行くなら撃たれる覚悟をしなければいけないと思っているし(ので行ったことがない)、
飛行機は落ちる覚悟で乗る必要がある(ので高校の修学旅行の往復しか乗ったことがない)、
電車も先頭車両に乗るのは抵抗があり、
外からガスの臭いがしたらすぐ窓を開け火元がないか探し(お風呂の給湯器とかだったりする)、
メールは送る前に誤字脱字がないか穴が開くほど確認する。
大学生の頃にこんなエピソードがある。
ゼミ室にいたとき火災報知器がなった。火元は一階の食堂とのことだった。
しかし、先生を始め生徒は誰も本気にしない。誤作動だろう。そう言って普通に過ごしているのだ。
私は気持ちが表情に出ないタイプなので平静に見えていたかもしれない。
だが、内心大層焦っていた。ゼミ室は5階で1階から万が一火が出ていたら逃げ遅れる可能性があるからだ。
いそいそと逃げる支度を調えた。ただ、この状況で逃げることは恥ずかしく実際は動けないでいた。
数分経っても火災報知器が鳴り止まず、念のため避難しようということになった。
私は待ってましたといわんばかりにバッグを持って教室の外に出た。
「準備早すぎ」と友達には笑われた。直後、誤作動であると放送が入り、私は心底安堵した。
3.11の時も大学にいた。
進路相談室で友人と面接がボロボロで落ち込んでいたら、強い揺れを感じた。
友人の方がドアに近かったので「ドア開けて」と私は叫んで、友人はドアを開けた。
今回はバッグさえ持たず外に走って逃げた。
ドアを開けて真っ先に逃げれるはずの友人は後ろから笑いながら歩いてきた。
幸い私の通っていた大学の周辺は震度5くらいだったので大きな被害はなかった。
冷静に振り返るとバッグを頭に乗せて避難するのが正解だったと思う。
でも、校舎が結構ボロかったので大きい揺れになったら崩れると本気で思った。
心配性=笑われる=欠点という考え
さて、私のエピソードや心配事を話すと大抵笑われる。
あなたもそう思うだろうか?大袈裟だろうか?
しかし、本人はいたって大まじめなのだ。
何せ一歩間違えば死んでしまうのだから。
でも、笑われるということは直すべき欠点だと昔の私は結論づけた。
人が気にもしない心配事という欠点を日々作り出すのでそれはそれはネガティブになる。
しかし、とあることで私の欠点は強みになるのである。
少し長くなってきたので、続きはまた次回としよう。
途中で口調が偉そうになってきたのは勘弁して欲しい。
どうやらこっちの方が私には書きやすいようだ。
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