どうも、まんますです。
今日はエネルギーを使い果たしました。
セミナーで自信を喪失して号泣した
現在通っている NLP のマスタープラクティショナーセミナーがそろそろ最終回を迎えるので、 本日は集大成ともいえるアセスメント(どのくらい理解しているかの評価)に向けての練習がありました。
情報収集のワークをしてからトレーナーにどのスキル行うべきか報告をするのですが、自分の情報収集の足りなさに気づいて報告中なのに号泣した。自分ではその涙は自信を喪失しての自己嫌悪だと思った。
そのあと自分がクライアントになってそのことをワークに投入した。
「自信がついてきたと思ったけど、私は人のちょっとした反応でも自分が揺らいでしまう。やっぱり自分を信じ切れない」と。
ガイドをしてくれた方がトレーナーにスキル選択の報告に行った時、先ほどのトレーナーとは別の方だったのですが、私の涙について「悔しいんですよね」と声をかけられて、ああ確かにそうかもしれないと思った。
もっと準備をしていればよかった、もっとワーク中に適切なことができていればよかったという後悔。 尊敬するトレーナーに失望されたかもしれないという恐怖と悔しさ。 ガイドがちょっと出来る気になっていたのではないかという自分の思い込みの愚かしさ。いろいろなことが涙に繋がっていた。
トレーナーには「それだけ泣くのは真剣に取り組んでいるから。そうじゃなければ『まぁこんなか』とか『しょうがない』となるはず」というような言葉もいただいた。「エネルギーがあるからできるようになる」とも。
私は負けず嫌いである
このブログにはまだ書いていないが、実は私はよく泣く。
NLPを始める前は会社でも結構泣いていたし、NLPのセミナー中も受講生の中で一番と言ってもいいほど泣いている。理由はいろいろあるのだが、NLPのセミナー中は出来なかったことに対しての涙と出来ることになったことでの涙が特に多い。
なぜなら私はできない自分を許容しがたい。もっとできるはず、もっと上に行けるはずという思いがいつもあって満足できない。だからセミナーで至らない点を見つけると悔しくて泣くし、出来ることが増えたら嬉しくて泣く。
NLPを始めてわずか3年弱の私がトレーナーの足下にも及ばない事なんて百も承知なのだけど、それでもどうしてもそこに近づきたい。 上には上がいるから正直いつまでも終わらずしんどくなることもあるけど、その負けず嫌いさが今まで私の向上心を刺激してきた。
ただ、評価軸が自分になくて他者が基準になることは苦しい。トレーナーには客観的に自分を見つめる練習がもっと必要だと言われ、その方法についてアドバイスももらった。なので、私はその方法を使ってこれから自分をもっと押し上げていく。
そういえばプラクティショナーのアセスメントでも悔しくて号泣したなぁとちょっと懐かしくなった。
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